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恩師の訃報
世界禁煙デー、禁煙週間であるが、滋賀医科大学初代学長 故脇坂行一先生 を偲ぶ会が6月3日に大津であり、参加してきました。 大学からの案内にありますように、滋賀医科大学と京都大学第一内科同窓会の共催でした。 ネット上で、脇坂先生の情報が少ないのでご略歴をまとめたい。 略 歴 大正3年3月 滋賀県東浅井郡湖北町に出生 浅井長政で有名な小谷城の近くです。脇坂周伯という医師がいるが、親戚でしょうか。 幼少の頃から、類稀な秀才でした。「ぎょういち」さんのような人になれというのが長浜周辺の伝説です(滋賀医科大学同窓会誌に渡辺会長が記載)。中学校2年生の時に英単語を調べるのに、Oxford English Dictionary(英々辞典)を使って、英語の先生がびっくりしていたと 井村裕夫先生が述べられてました。 虎姫高校の一期生で抜群の成績で、ご実家が医家であったため、京都帝国大学医学部に入学されました。(第三高等学校から医学部でしょうか?) 医学部の歴史上最高成績を取られたという伝説がありますが、井村先生(旧制医学部の最後の学年)によると医学部理科の最高点98点が脇坂先生の伝説の記録で、誰もその記録を破れなかったそうです。 昭和12年3月 京都帝国大学医学部卒業、京都帝国大学医学部副手 第2内科に入局され、内科学の道(消化器、血液)に進まれる。 広島市への原爆投下直後に京都大の原爆災害調査団に参加し、被爆による放射線障害の調査、研究や被爆者の診療にあたられました。 未知の領域に進まれる行動力です。 昭和21年 京都帝国大学医学部助教授、叙位・正七位 昭和22年 医学博士 このあたりから、新進気鋭の内科学者としての人生です。 昭和32年 京都大学医学部教授(第一内科) 40歳少しで京大内科の教授です。 真面目な脇坂内科の臨床講義担当の愛弟子があちこちの教授として大活躍です。後任の内野先生/大熊先生/内山先生、滋賀医大から関西医大に移られた安永先生(故人)、近畿大学の山本先生など多士済々です。 大学紛争の時には山本先生と脇坂先生のお二人で教授回診をされたり、命の危険を感じながらの診療であったと回想されていました。 昭和49年 京都大学国立医科大学(滋賀県)創設準備室長 滋賀医科大学の準備室は当時 京大医学部長の岡本道雄先生でしたが、岡本先生が京大総長に選ばれたので、脇坂先生が学長候補として準備室長に就任されました。岡本先生のご挨拶は93歳で車椅子という、出席されるだけで奇跡ですが、大変感激する内容でした。 昭和49年10月 滋賀医科大学長 ここから12年半の新設医科大学 学長時代が始まります。初代の副学長は佐野利勝先生(ドイツ語、故人)と中村恒夫先生(小児科学、故人)でした。僕は18歳から30歳(留学中)という医師としての成長期に大変影響を受けたのが脇坂先生でした。 昭和62年3月 滋賀医科大学任期満了退職 第二代学長である佐野晴洋先生が脇坂邸を訪ねられた時、書斎(?)に模型の電車が走り回っていたそうです。鉄道少年でしょうか? 昭和62年11月 叙勲・勲二等旭日重光章 ポイントは高いですね。 平成19年1月逝去 300名近い人が集まりました。 滋賀医科大学開設当初の教職員、学生、付属病院のスタッフなど大変懐かしい顔ぶれが揃っていました。同窓会のような、こんな機会を作って頂けた脇坂先生に再度感謝致します。
by takahashibss
| 2007-06-04 09:40
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